むかしばなし(昔話)2

 

Bさん

「団体の代表として、8月23日に果たして、そんなことができるのかなあと思った。自分たちが何かをやるにしても、半年か一年以上も前から企画してやる。バザーとはいうが果たして一般の人たちがどれだけ来てくれるのか、疑問だ。

 むしろバザーよりも、集いの方に力を入れたほうがよいのではないか。」

Cさん

「バザーの目的がはっきりとしない。たしかに運動していくのに金には乏しいが、あなたたちのバザーでは、一人当たりにすると、ほとんど意味がないだろう。

 ただ、うれしかったのは、これが核となって、私たちの活動をいっしょにやってくれるようになれば、と思ったことだ。手助けをいただきたいのは、むしろ日常的なことである。これを機会に、みんなと話し合う場が生まれればと思う。」

 

 当時の会長さんたちは、厳しい言葉の中にも気を遣っていただいている雰囲気があり、精神的に随分と助かった記憶があります。当時のことを覚えてくださっている方は「言うことはきつかったでなあ」と述懐されていました。

 この実行委員会の雰囲気は当時の記録によると、「この夜の雰囲気は、これまでの実行委員会の重苦しいムードを完全に一掃してくれるものとなった。三人の代表の方のご意見と励ましは、わたしたちに希望を与えてくれるものであった。」と記されています。

 その後の話し合いでも、「障害者に連絡する限りは、輸送や参加の仕方がはっきりとしていなければ困る。」「6団体が楽しめるものは、連合会が企画しても少ない。」「便所はどうするのか」などの意見が出され、大いに盛り上がりました。

 ただ、8月23日は台風の接近により9月に延期となりました。     (つづく)

むかしばなし(昔話)

 

 

 この冬、いくつかの障害者団体の文化祭に招かれました。挨拶を依頼されましたので、それぞれの団体とのこれまでのお付き合いを振り返ってみました。

 1981(昭和56)年、伊勢市に「地域Aからの出発」という奇妙な名前の団体が生まれました。この年の夏、宮川堤で「コミュニティ広場」という名のバザー中心のお祭りを開きました。これがステップワンの原点になる最初の催しです。当時はボランティアという名称がまだ使われていない時代でしたので、新聞にも「伊勢市内と度会郡の各町村に居住または在職している若者たち」と紹介されています。

 この広場を開催するにあたって、主催する私たちは数人で伊勢市内の障害者団体を回りました。その時、「障害者6団体」という存在を知ります。それぞれの団体の会長さんの自宅を回ることから始めました。

 前置きが長くなりましたが、その当時の会長さん方との出会いを挨拶の中に盛り込みました。もうすでにお亡くなりになってみえる方々ですので、「こんな話をしました」という紹介をさせていただきました。その当時を振り返ってみると、20代の若者が突然自宅を訪ね「バザーをしたいんだけど…」と話しかけたことに対して、よくお付き合いをしてくださったと思います。後日、皆さんは「最初来たときは、宗教団体の勧誘か選挙目当ての政治団体かと思った」とおっしゃっていました。

 何度かの実行委員会にも出かけてくださって、こんなことをお話ししていただきました。(今となっては了解をいただけませんので仮名とさせていただきます)

Aさん 

「連合会の席で説明させてもらったが、今日は直接話を聞きたいということで来た。      若い人たちの熱意には打たれるものがあるので、協力はできるだろう。

 今年は特に国際障害者年でもあり、実に多くの行事があるが、障害者と一緒にやろうというところが良い。参加の仕方としては、当日だけのことになるだろうが…。最初の感想は、そんなことが本当にできるのかということだった。

 率直に言わせてもらえば、他の団体が以前バザーをやった時、一人1万円以上出せというチラシがあり、それでも足らんよ言うことで他にも回ったことがあるらしい。だから、あなたたちのような人たちで、品物が集まるのか、また果たして売れるのか、と心配した。

 ただ、こうして会う機会ができただけでも良い。3人の代表を通して知ってもらえば、それに越したことはない。これから体育大会などもやるので、その時に来たもらえれば…。とにかく金よりも心の通じたことの方がうれしい。」      (つづく)

 

 

2018年を振り返って

 

 

 平成が終わり、令和が始まります。

 今年度の総会に向けて、去年1年間を振り返ってみました。

 

 去年の4月から今年の3月までのステップワンです。

 

 「第59回運営会議」とか、「第156回打ち合わせ会議と」いう表現を見ると驚かれることだと思います。

 2000年に入ったころは、回数を数えずに「4月全体会議」といった風に、月の名称で会議を表していました。第1回を使ってから10年以上が経ち、とんでもない数の会議名になりました。運営会議が会員の全体会議、打ち合わせ会議が理事の集まる会議です。

 

 

 

   4月 2日(月)グループホームくれよん開所

 

     27日(金)県完了検査(くれよん)

 

   5月11日(金)第59回運営会議

 

     18日(金)会報第18号発行

 

     20日(日)すてっぷわん14周年記念バザー

 

   6月 7日(木)宇治山田商業高校生との交流開始

 

     22日(金)NPO法人ステップワン第11回総会

 

   7月 3日(火)四郷小学校生との交流開始

 

     12日(木)第156回打ち合わせ会議

 

     21日(土)伊勢の夜祭すてっぷわんリサイクル市

 

   8月 3日(金)第60回運営会議

 

      5日(日)わくわくフェスティバル(いせトピア)出展

 

   9月 2日(日)ステップワン夏祭り

 

     28日(金)第61回運営会議

 

  10月 1日(月)会報第19号発行

 

      6日(土)7日(日)伊勢まつりバザー

 

     24日(水)第157回打ち合わせ会議

 

  11月12日(月)しろまるさんのおとぎよみ公演

 

     16日(金)第62回運営会議

 

     25日(日)第7回ぱれっと食堂

 

     30日(金)県監査(くれよん新築工事)

 

  12月 7日(木)伊勢市立総合病院見学

 

16日(日)すてっぷわん歳末バザー

 

   1月11日(金)第63回運営会議

 

     13日(日)新春フェスタ(いせトピア)

 

     17日(木)伊勢市防災センター見学

 

     27日(日)第8回ぱれっと食堂

 

   2月22日(金)第64回運営会議

 

   3月 3日(日)第9回ぱれっと食堂

 

     21日(木)第65回運営会議

 

 

 

 

 

 

 今から三十年以上も前の文章を掲載するのは気が引けますが、ステップワンの原点を若い人たちに知っていただくために読んでいただければと思います。「地域Aからの出発」の続きです。(若さゆえに今流行の言葉「上から目線」の文になっています。しかし状況は何も変わっていないような気がします。「完全参加と平等」なつかしいフレーズです。)

 

障害をもった人達と楽しもう

 

 ご存知のように、国際障害者年は、NHKを通して流れる歌や実に様々なチャリティ行事を無事に消化して終ったかのような印象を与えています。今では「完全参加と平等」のテーマも、街では見かけなくなってしまいました。

 それでは、国際障害者年は見事に今までの偏見や差別を打ち破り、完全参加と平等を実現させたのでしょうか。答えは言うまでもなく「ノー」です。1981年は、今後10年間の長期計画のための初年度であるということすら、この社会の中では、知られていないのではないでしょうか。

 ということは、いくら行事が盛大に行われようと、具体的に地域住民一人一人の間に理解や関わりの仕方の芽が生まれてこなければ、障害をもった人達に「単なる一年かぎりのお祭り」といわれても仕方ないことだと思います。

 そこで私達「地域Aからの出発」は何を考え、何をどう実行に移していくのか、障害をもった人達の問題を中心に書き連ねていこうと考えます。

 そのために、この機関紙を有効に使いたいと思います。

 先ず第一に、これまで障害者(児)運動というものは、かなり大上段にふりかぶっての運動が多かったように思います。「障害をもった人のために、あなたはどうする、何ができる、何を手伝ってもらえる」式の問いかけは、それ自体に何の誤りもないわけですが、日常の生活の中でそういった問題に触れていない人達にとっては、かなりしんどい問いではないかと思います。そこで、「自分達に何ができるか」という発想はひとまず置いて、自分達が楽しむ中で、障害をもった人達に入っていただき、いっしょに楽しめる機会を持ちたいと考えました。

 私自身これまでに、障害をもった人達のいろいろな団体の方とお会いして感じたことがあります。それは障害をもった人達同士の連帯は実に強力にあると思います。しかし一歩外に目を向ければ、それ以上のことが私達の日常生活の場であまり見られないということなのです。例えば、健常者(この言葉きらいなのですが、何か他にいい言葉ないでしょうか)との人間関係に恵まれていないということがあります。これは各種の障害者団体が閉鎖的であるということでは決してないと思います。そうではなく、健常者個々の意識や生活が、障害をもった人達に対して閉鎖的なのです。少なくとも私はそう思います。その原因は、日常生活の場で常に触れ合う場面が極端に少ないからなのです。

 その証拠に、地域Aの若い人達も「障害」の何たるかについてまるで無知の状態であったのに、実際に触れ合うことによって「書物」等で知ることよりも理解し合うことができたと思います。

 「『地域A』は障害をもった人達のために何ができるか」と言われれば黙って引っ込むより仕方ないと思います。今までに、わずか年一回の広場づくりとちょこちょことしたお手伝いのマネゴトだけなのですから。しかし私達はボランティア団体ではありません。あくまでも「自分達が楽しみ」という項目が必要条件なのです。私自身は、その方がむしろ「地域A」をいろいろなことに使っていただけると思います。障害をもった人達が気がねなく、家族や友人を使うように声をかけていただければと考えます。

 そのためには、「地域A」にもっともっと人が必要です。人がどれだけでも欲しいのです。「地域A」といっても、今は本当にわずかの人間なのです。夢を言えば、少なくとも各町ぐらいに「地域A」が欲しいのです。

 本当に気楽な自由なふんい気のおともだちばかりです。障害をもった人達と楽しんでみたい、何かしてみたいと思われているあなた、いい機会だと思います。途中で棒が折れる方でも結構です。

 一度、「地域A」のお誘いにひっかっかってみてください。また、声をかけてもみてください。きっと楽しい明日が待っていますから。

 

 

 

1976年 最初の「地域Aからの出発」

 

 1976年に、一度「地域Aからの出発」という名称を使って動いたことがあります。

 東京で働いているジャズメンの卵のコンサートを開き、かなりの人に集まっていただきました。そのときには「祭りの場をもちたい、みなさんいっしょにやりましょう」と呼びかけたのですが、肝心の私達にその後の目安になる具体的なものが出せなかったために、それはそれで断ち切れた形になってしまいました。

 そして再び「地域Aからの出発」の名を使って活動を始めたのが、1981年です。ちょうどこの年は国際障害者年でした。

 私自身が正業の分野で、障害をもったこどもたちと生活できる場に恵まれたこともあり、かねてから障害をもった人達といっしょに何かできればという思いをもっていた私は、自分の身の回りにいる若い人達にこの話しを始めました。ところが、何もない処から物事を始めることが如何にむずかしいことであるか… 「地域Aからの出発」も動き始めた当初は、それこそ雲をつかむような話しばかりでした。

 今はいっしょに活動してくれる地域Aの人たちも、何のためのどんな活動で、誰がどう動くのか、まるで見当がつかない有様でした。運動を進めようと思って、お手伝いを願えそうな方々のお宅へ伺っても納得いただける説明ができないというていたらくでした。言い出しっぺの私自身が、その都度、話しの内容に食い違いを見せるといった恥をかくこともありました。

 支えは、若い人達の熱と力、障害をもった方々のあたたかい思いやり、ご協力の心でした。この間のいきさつについては「1981地域Aからの出発のあゆみ」という冊子がありますので、またご覧になってください。

 「地域Aからの出発」を名のったのは、まだ海のものとも山のものともわからないため、「『地域A』への準備段階としての集団」という意味合いからなのです。

 何はともあれ、「障害をもった人達といっしょに楽しもう」だけが、今も変わらぬ唯一の方向なのです。                          (つづく)

 

 

 

「地域Aからの出発」という名前の由来について

 

 

 NPO法人ステップワンの出発点となる「地域Aからの出発」という団体について少し紹介してみたいと想います。

 1983年に機関紙「地域Aからの出発」の創刊号を出しましたが、その中に「地域Aからの出発のために」という文を載せています。今から30年以上も前の拙文で恥ずかしいですが、歴史を知っていただければと想って引用します。

1.「地域Aからの出発」という名前の由来について

 かつて「地方の時代」が盛んに叫ばれた時代がありました。というより、それは今でも変わりないことなのかもしれません。「地方の時代」 それは、政治的な運動にしろ文化的な運動にしろ、すでに中央では何事も成し得ないのではないかという風潮に抗して叫ばれ始めたように思います。いろいろな形での市民運動が盛んになり始めたのも、ちょうどその頃のことです。その時期に学生を終えた私も、自分の故郷に永住するにあたって、ひとつの思いを抱きました。自分の生まれた街で、自分なりに、新しい息吹を持った活動がしてみたい、という思いです。

 その時の発想が「地域A」だったのです。

 それは、先ず自分の生活の場を核として「地域A」という、大げさに言えば拠点を創り、身の回りの人達といっしょに何らかの形で文化的な運動を始めてみたいという思いからでした。取りあえずは何でもよい、自分が楽しみ、身の回りの人達が楽しみ、そして欲を言うならば地域の人達が共に楽しめる「場」を確保していきたい。その確保された人と場をもって「地域A」とし、近在に同じような思いをもって生きている人達がいれば「地域A'」とでもして、その輪を広げていければという単純な発想でした。

 そして、その地域がA'、A"、…という風に新たな集団を生み出していけば、その運動の中で、自分が変わり、ひとが変わり、そして地域自体が変わっていくのではないか、また、これだけ希薄になったといわれる人間関係の在り方に新たな展開が生まれるのではないか、と考えました。

 地域A、A'、A"…(いくつかのダッシュ)まで行き、更に幅の広い、密度の濃い、質の高い運動が展開できるようになれば地域B、地域C、… と、どこまでもその輪を広げていけるのではないか、といった幻想を抱きました。「地域A」というウサンくさい名前は、そんな単純な発想から生まれたものなのです。

 要するに、このAは単純に物事の出発点をあらわす象徴なのです。       (つづく)

ステップワンのこれまでの歩み

1981 「地域Aからの出発」発足

     (「地域で障害者と共に生きる」を目的に活動を開始する。)

           障害者6団体に呼びかけ宮川堤で「コミュニティ広場」開催

    (1981年から1983年まで3回開催)

1984 「障害者の将来を考える会」設立趣意書作成

1985 「地域Aからの出発」と「亀の子会」が合併して活動開始

    作業所づくりのため、コンサート、バザー、廃品回収を始める。

    講演会、キャンプ、クリスマス会、旅行等を毎年企画、実施を始める。

1986   宮川堤で「みんなの広場」を自主企画で開催

     (1986年から1992年まで6回開催)

1987   第1回ステップワンチャリティ「長谷川きよし」コンサート

1988  「ステップワン(はじめの一歩)」と名称変更

     「小室等」第2回コンサート

1990   作業所開所(アパート2部屋)

      映画会「しがらきから吹いてくる風」

    「憂歌団」第3回コンサート

1991 「近藤房之助」第4回コンサート

      映画会「さよならCP」

1993  開所式 現在の楠部町に移転

           作業所前で月1回のリサイクル市を始める。

    この年から伊勢大祭・桜祭など各種イベントに毎年参加する。

    「上田正樹&サウストゥサウス」第5回コンサート

1995 「永井隆 阪神大震災救済チャリティコンサート」第6回コンサート

1996 「富樫雅彦トリオ ジャズコンサート」第7回コンサート

    ララパーク「ステップワン作品展」

    (以降、2000年まで開催)

1997 「新井英一」第8回コンサート

    明和町「斎王まつり」バザーに参加

    (以降2004年まで参加)

1998 「西岡恭蔵・大塚まさじ・加川良・高田渡」第9回コンサート

    三重県「みえ人権フォーラム」

    (以降2005年まで参加)

1999  「綾戸智絵+ANOINTY MASS CHOIR」第10回コンサート

2001 「上田正樹・ゑびす・バンバンバザール」第11回コンサート

2003 「東京都交響楽団メンバーによる室内楽の夕べ」第12回コンサート

    グループホーム設立に向けた活動を開始する。

2004  新道の店「すてっぷわん」5月にオープン

    「太鼓集団 怒」第13回コンサート

2005 「喜納昌吉&チャンプルース」第14回コンサート

2006 「大西ユカリと新世界」第15回コンサート

2008  NPO法人ステップワン設立(2月13日)

2009  障害者自立支援法に係る障害福祉サービス

    「生活介護事業」を開始(4月1日)

2013   障害者自立支援法に係る障害福祉サービス

   「共同生活介護事業」(定員4名)を伊勢市吹上で開始。

         「ステップワンハウスぱれっと」と銘々

2014   法改正に伴い、障害者総合支援法に係る

    共同生活援助事業(包括型)および「生活介護」事業を行う

2015   ステップワン作業所新体制

2016   ぱれっと夏祭り再開(第4回開催)

    ぱれっと食堂開始

2017   新グループホーム建築開始