今から三十年以上も前の文章を掲載するのは気が引けますが、ステップワンの原点を若い人たちに知っていただくために読んでいただければと思います。「地域Aからの出発」の続きです。(若さゆえに今流行の言葉「上から目線」の文になっています。しかし状況は何も変わっていないような気がします。「完全参加と平等」なつかしいフレーズです。)

 

障害をもった人達と楽しもう

 

 ご存知のように、国際障害者年は、NHKを通して流れる歌や実に様々なチャリティ行事を無事に消化して終ったかのような印象を与えています。今では「完全参加と平等」のテーマも、街では見かけなくなってしまいました。

 それでは、国際障害者年は見事に今までの偏見や差別を打ち破り、完全参加と平等を実現させたのでしょうか。答えは言うまでもなく「ノー」です。1981年は、今後10年間の長期計画のための初年度であるということすら、この社会の中では、知られていないのではないでしょうか。

 ということは、いくら行事が盛大に行われようと、具体的に地域住民一人一人の間に理解や関わりの仕方の芽が生まれてこなければ、障害をもった人達に「単なる一年かぎりのお祭り」といわれても仕方ないことだと思います。

 そこで私達「地域Aからの出発」は何を考え、何をどう実行に移していくのか、障害をもった人達の問題を中心に書き連ねていこうと考えます。

 そのために、この機関紙を有効に使いたいと思います。

 先ず第一に、これまで障害者(児)運動というものは、かなり大上段にふりかぶっての運動が多かったように思います。「障害をもった人のために、あなたはどうする、何ができる、何を手伝ってもらえる」式の問いかけは、それ自体に何の誤りもないわけですが、日常の生活の中でそういった問題に触れていない人達にとっては、かなりしんどい問いではないかと思います。そこで、「自分達に何ができるか」という発想はひとまず置いて、自分達が楽しむ中で、障害をもった人達に入っていただき、いっしょに楽しめる機会を持ちたいと考えました。

 私自身これまでに、障害をもった人達のいろいろな団体の方とお会いして感じたことがあります。それは障害をもった人達同士の連帯は実に強力にあると思います。しかし一歩外に目を向ければ、それ以上のことが私達の日常生活の場であまり見られないということなのです。例えば、健常者(この言葉きらいなのですが、何か他にいい言葉ないでしょうか)との人間関係に恵まれていないということがあります。これは各種の障害者団体が閉鎖的であるということでは決してないと思います。そうではなく、健常者個々の意識や生活が、障害をもった人達に対して閉鎖的なのです。少なくとも私はそう思います。その原因は、日常生活の場で常に触れ合う場面が極端に少ないからなのです。

 その証拠に、地域Aの若い人達も「障害」の何たるかについてまるで無知の状態であったのに、実際に触れ合うことによって「書物」等で知ることよりも理解し合うことができたと思います。

 「『地域A』は障害をもった人達のために何ができるか」と言われれば黙って引っ込むより仕方ないと思います。今までに、わずか年一回の広場づくりとちょこちょことしたお手伝いのマネゴトだけなのですから。しかし私達はボランティア団体ではありません。あくまでも「自分達が楽しみ」という項目が必要条件なのです。私自身は、その方がむしろ「地域A」をいろいろなことに使っていただけると思います。障害をもった人達が気がねなく、家族や友人を使うように声をかけていただければと考えます。

 そのためには、「地域A」にもっともっと人が必要です。人がどれだけでも欲しいのです。「地域A」といっても、今は本当にわずかの人間なのです。夢を言えば、少なくとも各町ぐらいに「地域A」が欲しいのです。

 本当に気楽な自由なふんい気のおともだちばかりです。障害をもった人達と楽しんでみたい、何かしてみたいと思われているあなた、いい機会だと思います。途中で棒が折れる方でも結構です。

 一度、「地域A」のお誘いにひっかっかってみてください。また、声をかけてもみてください。きっと楽しい明日が待っていますから。

 

 

 

1976年 最初の「地域Aからの出発」

 

 1976年に、一度「地域Aからの出発」という名称を使って動いたことがあります。

 東京で働いているジャズメンの卵のコンサートを開き、かなりの人に集まっていただきました。そのときには「祭りの場をもちたい、みなさんいっしょにやりましょう」と呼びかけたのですが、肝心の私達にその後の目安になる具体的なものが出せなかったために、それはそれで断ち切れた形になってしまいました。

 そして再び「地域Aからの出発」の名を使って活動を始めたのが、1981年です。ちょうどこの年は国際障害者年でした。

 私自身が正業の分野で、障害をもったこどもたちと生活できる場に恵まれたこともあり、かねてから障害をもった人達といっしょに何かできればという思いをもっていた私は、自分の身の回りにいる若い人達にこの話しを始めました。ところが、何もない処から物事を始めることが如何にむずかしいことであるか… 「地域Aからの出発」も動き始めた当初は、それこそ雲をつかむような話しばかりでした。

 今はいっしょに活動してくれる地域Aの人たちも、何のためのどんな活動で、誰がどう動くのか、まるで見当がつかない有様でした。運動を進めようと思って、お手伝いを願えそうな方々のお宅へ伺っても納得いただける説明ができないというていたらくでした。言い出しっぺの私自身が、その都度、話しの内容に食い違いを見せるといった恥をかくこともありました。

 支えは、若い人達の熱と力、障害をもった方々のあたたかい思いやり、ご協力の心でした。この間のいきさつについては「1981地域Aからの出発のあゆみ」という冊子がありますので、またご覧になってください。

 「地域Aからの出発」を名のったのは、まだ海のものとも山のものともわからないため、「『地域A』への準備段階としての集団」という意味合いからなのです。

 何はともあれ、「障害をもった人達といっしょに楽しもう」だけが、今も変わらぬ唯一の方向なのです。                          (つづく)

 

 

 

「地域Aからの出発」という名前の由来について

 

 

 NPO法人ステップワンの出発点となる「地域Aからの出発」という団体について少し紹介してみたいと想います。

 1983年に機関紙「地域Aからの出発」の創刊号を出しましたが、その中に「地域Aからの出発のために」という文を載せています。今から30年以上も前の拙文で恥ずかしいですが、歴史を知っていただければと想って引用します。

1.「地域Aからの出発」という名前の由来について

 かつて「地方の時代」が盛んに叫ばれた時代がありました。というより、それは今でも変わりないことなのかもしれません。「地方の時代」 それは、政治的な運動にしろ文化的な運動にしろ、すでに中央では何事も成し得ないのではないかという風潮に抗して叫ばれ始めたように思います。いろいろな形での市民運動が盛んになり始めたのも、ちょうどその頃のことです。その時期に学生を終えた私も、自分の故郷に永住するにあたって、ひとつの思いを抱きました。自分の生まれた街で、自分なりに、新しい息吹を持った活動がしてみたい、という思いです。

 その時の発想が「地域A」だったのです。

 それは、先ず自分の生活の場を核として「地域A」という、大げさに言えば拠点を創り、身の回りの人達といっしょに何らかの形で文化的な運動を始めてみたいという思いからでした。取りあえずは何でもよい、自分が楽しみ、身の回りの人達が楽しみ、そして欲を言うならば地域の人達が共に楽しめる「場」を確保していきたい。その確保された人と場をもって「地域A」とし、近在に同じような思いをもって生きている人達がいれば「地域A'」とでもして、その輪を広げていければという単純な発想でした。

 そして、その地域がA'、A"、…という風に新たな集団を生み出していけば、その運動の中で、自分が変わり、ひとが変わり、そして地域自体が変わっていくのではないか、また、これだけ希薄になったといわれる人間関係の在り方に新たな展開が生まれるのではないか、と考えました。

 地域A、A'、A"…(いくつかのダッシュ)まで行き、更に幅の広い、密度の濃い、質の高い運動が展開できるようになれば地域B、地域C、… と、どこまでもその輪を広げていけるのではないか、といった幻想を抱きました。「地域A」というウサンくさい名前は、そんな単純な発想から生まれたものなのです。

 要するに、このAは単純に物事の出発点をあらわす象徴なのです。       (つづく)

ステップワンのこれまでの歩み

1981 「地域Aからの出発」発足

     (「地域で障害者と共に生きる」を目的に活動を開始する。)

           障害者6団体に呼びかけ宮川堤で「コミュニティ広場」開催

    (1981年から1983年まで3回開催)

1984 「障害者の将来を考える会」設立趣意書作成

1985 「地域Aからの出発」と「亀の子会」が合併して活動開始

    作業所づくりのため、コンサート、バザー、廃品回収を始める。

    講演会、キャンプ、クリスマス会、旅行等を毎年企画、実施を始める。

1986   宮川堤で「みんなの広場」を自主企画で開催

     (1986年から1992年まで6回開催)

1987   第1回ステップワンチャリティ「長谷川きよし」コンサート

1988  「ステップワン(はじめの一歩)」と名称変更

     「小室等」第2回コンサート

1990   作業所開所(アパート2部屋)

      映画会「しがらきから吹いてくる風」

    「憂歌団」第3回コンサート

1991 「近藤房之助」第4回コンサート

      映画会「さよならCP」

1993  開所式 現在の楠部町に移転

           作業所前で月1回のリサイクル市を始める。

    この年から伊勢大祭・桜祭など各種イベントに毎年参加する。

    「上田正樹&サウストゥサウス」第5回コンサート

1995 「永井隆 阪神大震災救済チャリティコンサート」第6回コンサート

1996 「富樫雅彦トリオ ジャズコンサート」第7回コンサート

    ララパーク「ステップワン作品展」

    (以降、2000年まで開催)

1997 「新井英一」第8回コンサート

    明和町「斎王まつり」バザーに参加

    (以降2004年まで参加)

1998 「西岡恭蔵・大塚まさじ・加川良・高田渡」第9回コンサート

    三重県「みえ人権フォーラム」

    (以降2005年まで参加)

1999  「綾戸智絵+ANOINTY MASS CHOIR」第10回コンサート

2001 「上田正樹・ゑびす・バンバンバザール」第11回コンサート

2003 「東京都交響楽団メンバーによる室内楽の夕べ」第12回コンサート

    グループホーム設立に向けた活動を開始する。

2004  新道の店「すてっぷわん」5月にオープン

    「太鼓集団 怒」第13回コンサート

2005 「喜納昌吉&チャンプルース」第14回コンサート

2006 「大西ユカリと新世界」第15回コンサート

2008  NPO法人ステップワン設立(2月13日)

2009  障害者自立支援法に係る障害福祉サービス

    「生活介護事業」を開始(4月1日)

2013   障害者自立支援法に係る障害福祉サービス

   「共同生活介護事業」(定員4名)を伊勢市吹上で開始。

         「ステップワンハウスぱれっと」と銘々

2014   法改正に伴い、障害者総合支援法に係る

    共同生活援助事業(包括型)および「生活介護」事業を行う

2015   ステップワン作業所新体制

2016   ぱれっと夏祭り再開(第4回開催)

    ぱれっと食堂開始

2017   新グループホーム建築開始